並べて比較

マップビュー 左の詳細 右の詳細 入れ替え

初期表示は軽量プレビューです。細部を確認したい時だけ高精細表示に切り替えると、待ち時間を抑えられます。

左 / 1916年(1910年代)
角田洋品店(泉町二丁目)=大正5年
場所: 泉町 カテゴリ: 建物 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
プレビューを読み込み中...
ズーム: ホイール / 移動: ドラッグ
原画を開く
角田洋品店は旧日本生命のところにあったが、昭和初年ころ閉業した。加納薬局は明治生命ビルの後ろに移って、もとの文具を拡げて文化用具の店になっているが、この写真の当時から戦災までこの店舗のままで、いつごろまでか、表の雨戸は上げ下げして開閉する昔の蔀戸(しとみど)になっていた。この店の用具の一部は現在、市立博物館に展示されている。滝田菓子舗は戦後趣味の店タキタに変わった。
右 / 1895年(1890年代)
大工町第八部消防組の人々(別雷皇太神境内)
場所: 元山町 カテゴリ: 景色 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
プレビューを読み込み中...
ズーム: ホイール / 移動: ドラッグ
原画を開く
明治二十七年、消防法の改正で水戸市消防組ができた。人員は三百名。それが十一部に分かれ、第一部から第六部までが上市、第七部から第十一部までが下市組となっていた。その後消防器具の増加に伴って人員もしだいに増加し、明治末には四百六十六名となった。しかしそのころになってもポンプは依然として旧式な手押しポンプが各部に一台ずつの配置だったから、大火には間に合わなかった。大正六年、市内の有志がガソリンポンプ一台を市に寄贈したが、これが水戸市消防の動力化の初めで、自動車ポンプになったのは昭和に入ってからのことである。写真の大正時代の消防スタイルは、江戸火消しの姿からちょんまげを取っただけの、昔ながらの刺子(さしこ)に半纒(はんてん)。下は紺ももひきをはき、頭には刺子の頭巾をかぶり、これで火の中へ飛び込んだ。どの写真にも見える纒(まとい)は、もとは戦陣で本陣の目印にしたものだが、これが江戸時代から火消しの組のシンボルとなり、白い頭部を思い思いのデザインにして中に文字やマークを書いた。鎮火間近になると消し口の要路に立てたこの纒を隣家の屋根に立てて、消火の功を競った。