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左 / 1932年(1930年代)
開通直後の水府橋
場所: 三の丸 カテゴリ: 景色 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
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水府橋は昭和六年、お杉山下の那珂川に架けられた橋で、昭和初期の不況の失業救済事業でもあったといわれる。工事は六年六月三日に始まり翌七年五月十五日、一年足らずの短期間で完成した。当時としてもモダンなこの橋は、六十年近い今日でもなお美しく健在である。しかしこの橋の開通で、それまで下市本町から細かく屈曲して寿橋を経たコースを不用としたために、これがその後の下市地区に与えた影響は少なくなかった。
右 / 1895年(1890年代)
大工町第八部消防組の人々(別雷皇太神境内)
場所: 元山町 カテゴリ: 景色 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
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明治二十七年、消防法の改正で水戸市消防組ができた。人員は三百名。それが十一部に分かれ、第一部から第六部までが上市、第七部から第十一部までが下市組となっていた。その後消防器具の増加に伴って人員もしだいに増加し、明治末には四百六十六名となった。しかしそのころになってもポンプは依然として旧式な手押しポンプが各部に一台ずつの配置だったから、大火には間に合わなかった。大正六年、市内の有志がガソリンポンプ一台を市に寄贈したが、これが水戸市消防の動力化の初めで、自動車ポンプになったのは昭和に入ってからのことである。写真の大正時代の消防スタイルは、江戸火消しの姿からちょんまげを取っただけの、昔ながらの刺子(さしこ)に半纒(はんてん)。下は紺ももひきをはき、頭には刺子の頭巾をかぶり、これで火の中へ飛び込んだ。どの写真にも見える纒(まとい)は、もとは戦陣で本陣の目印にしたものだが、これが江戸時代から火消しの組のシンボルとなり、白い頭部を思い思いのデザインにして中に文字やマークを書いた。鎮火間近になると消し口の要路に立てたこの纒を隣家の屋根に立てて、消火の功を競った。