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左 / 1841年(1840年代)
弘道館正庁
場所: 三の丸 カテゴリ: 建物 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
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弘道館は徳川斉昭が藩士とその子弟の教育のために建てた藩校である。天保十二年(一八四一)の開校以来、明治五年の廃館まで三十二年間にわたり幾多の人材を養成した。当時は一万九千平方メートルという他藩に例を見ない広大な敷地をもち、学校御殿といわれた正庁を中心に、文館、武館を左右に配し、医薬、天文、暦数その他の館と付属の建物が立ち並び、さながら総合大学の偉容を示していた。ここで行われた教育は「学問と事業の一致」「文武わかたず」の理念を基調として、神道と儒教の思想を併せた独特のもので、この学問は水戸学と呼ばれて全国から注目された。明治元年の兵火で施設の多くを焼失したが、正門、正庁は戦災をも免れて当時の姿を今に伝えている。なお、明治五年から十五年までここに茨城県庁が置かれた。
右 / 1899年(1890年代)
県立水戸農学校の開校を記念して
場所: 緑町 カテゴリ: 景色 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
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水戸農学校は明治二十九年四月、簡易農学校として設立された。後、常磐村字木ノ折(現・水戸市緑町)に校舎が新築され、三十二年六月県立水戸農学校として開校して、記念式典が行われた。戦後の改革で県立水戸農業高等学校となって二十年後、那珂町木ノ倉に新築移転した。跡地には県立歴史館が建設され、写真の背後に見える校舎の玄関あたりの一部が、構内南隅に移築されている。