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左 / 2026年(2020年代)
昭和初年ころの表門 2026年時点の写真
場所: 常磐町 カテゴリ: 建物 ライセンス: 2025年度常磐大学総合政策学部総合政策学科デジタルアーカイブ実習(撮影:荒木皐汰)
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昭和初年ころの表門 2026年時点の写真
右 / 1841年(1840年代)
弘道館正庁
場所: 三の丸 カテゴリ: 建物 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
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弘道館は徳川斉昭が藩士とその子弟の教育のために建てた藩校である。天保十二年(一八四一)の開校以来、明治五年の廃館まで三十二年間にわたり幾多の人材を養成した。当時は一万九千平方メートルという他藩に例を見ない広大な敷地をもち、学校御殿といわれた正庁を中心に、文館、武館を左右に配し、医薬、天文、暦数その他の館と付属の建物が立ち並び、さながら総合大学の偉容を示していた。ここで行われた教育は「学問と事業の一致」「文武わかたず」の理念を基調として、神道と儒教の思想を併せた独特のもので、この学問は水戸学と呼ばれて全国から注目された。明治元年の兵火で施設の多くを焼失したが、正門、正庁は戦災をも免れて当時の姿を今に伝えている。なお、明治五年から十五年までここに茨城県庁が置かれた。