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同じ場所・同じ題材の写真を、左右に並べて見比べるための画面です。

① 1841年(1840年代)
二の丸と三の丸の間に架かる大手橋
📍 三の丸 🏷 景色 🔐 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
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📝 補足
弘道館は徳川斉昭が藩士とその子弟の教育のために建てた藩校である。天保十二年(一八四一)の開校以来、明治五年の廃館まで三十二年間にわたり幾多の人材を養成した。当時は一万九千平方メートルという他藩に例を見ない広大な敷地をもち、学校御殿といわれた正庁を中心に、文館、武館を左右に配し、医薬、天文、暦数その他の館と付属の建物が立ち並び、さながら総合大学の偉容を示していた。ここで行われた教育は「学問と事業の一致」「文武わかたず」の理念を基調として、神道と儒教の思想を併せた独特のもので、この学問は水戸学と呼ばれて全国から注目された。明治元年の兵火で施設の多くを焼失したが、正門、正庁は戦災をも免れて当時の姿を今に伝えている。なお、明治五年から十五年までここに茨城県庁が置かれた。
② 1916年(1910年代)
大高織右衛門商店(馬口労町)=大正5年
📍 末広町 🏷 建物 🔐 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
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📝 補足
大高、釘屋の両店とも昔から馬口労町きっての豪商といわれた。特に大高織右衛門の家は代々筆頭町年寄として城下町人の総元締めのような位置を占め、近在に名を知られた。旧馬口労町の通りには、このような豪商や土蔵造りの商家が軒を連ねて繁栄した時代があり、幸い戦災も免れて、戦後もしばらくは昔をしのばせる建物が残っていたが、今は年ごとにその姿が失われている。