並べて比較

マップビュー 左の詳細 右の詳細 入れ替え

初期表示は軽量プレビューです。細部を確認したい時だけ高精細表示に切り替えると、待ち時間を抑えられます。

左 / 1841年(1840年代)
二の丸と三の丸の間に架かる大手橋
場所: 三の丸 カテゴリ: 景色 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
プレビューを読み込み中...
ズーム: ホイール / 移動: ドラッグ
原画を開く
弘道館は徳川斉昭が藩士とその子弟の教育のために建てた藩校である。天保十二年(一八四一)の開校以来、明治五年の廃館まで三十二年間にわたり幾多の人材を養成した。当時は一万九千平方メートルという他藩に例を見ない広大な敷地をもち、学校御殿といわれた正庁を中心に、文館、武館を左右に配し、医薬、天文、暦数その他の館と付属の建物が立ち並び、さながら総合大学の偉容を示していた。ここで行われた教育は「学問と事業の一致」「文武わかたず」の理念を基調として、神道と儒教の思想を併せた独特のもので、この学問は水戸学と呼ばれて全国から注目された。明治元年の兵火で施設の多くを焼失したが、正門、正庁は戦災をも免れて当時の姿を今に伝えている。なお、明治五年から十五年までここに茨城県庁が置かれた。
右 / 1960年(1960年代)
本町の軌道撤去作業
場所: 本町 カテゴリ: 景色 ライセンス: 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
プレビューを読み込み中...
ズーム: ホイール / 移動: ドラッグ
原画を開く
大正十一年十二月に開業した水浜電車は、それからの四十余年間を単線一筋に走り、空襲の災禍をも克服して、戦後も二十年間走り続けたが、バス路線の拡大やしだいに問題化する交通事情から、ついに廃止のやむなきに至った。昭和四十年六月十日を最後に市街からその姿を消し、四十一年五月三十一日をもって大洗までの路線も廃止されて、懐かしのチンチン電車の姿は二度と見られなくなった。