🔍 並べて比較

← マップビュー ①の詳細 ②の詳細 ⇄ 入れ替え

同じ場所・同じ題材の写真を、左右に並べて見比べるための画面です。

① 1923年(1920年代)
旅館太平館とその周辺(水戸駅前)=大正12年
📍 宮 🏷 景色 🔐 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
マウスホイール/ピンチでズーム・ドラッグで移動
📝 補足
大正十年四月の水戸駅前の大火で太平館や芝田屋支店など周辺六十八戸が焼失し、その後まもなく再建されたときの写真が太平館(現在の高島屋ビル北端)。芝田屋支店(現在の野村証券から丸井のあたり)、鈴木屋旅館(駅前広場東側)もそのころ再建されたもの。これら三館はともに駅前旅館の顔にかけて客引きを競い、政財界の重鎮の会合の場としても数々の話題を残したが、いずれも水戸戦災で焼失した。
② 1841年(1840年代)
弘道館正庁
📍 三の丸 🏷 建物 🔐 出典「水戸市立図書館デジタルアーカイブ『水戸百年』・写真集「水戸百年」編集委員会」
マウスホイール/ピンチでズーム・ドラッグで移動
📝 補足
弘道館は徳川斉昭が藩士とその子弟の教育のために建てた藩校である。天保十二年(一八四一)の開校以来、明治五年の廃館まで三十二年間にわたり幾多の人材を養成した。当時は一万九千平方メートルという他藩に例を見ない広大な敷地をもち、学校御殿といわれた正庁を中心に、文館、武館を左右に配し、医薬、天文、暦数その他の館と付属の建物が立ち並び、さながら総合大学の偉容を示していた。ここで行われた教育は「学問と事業の一致」「文武わかたず」の理念を基調として、神道と儒教の思想を併せた独特のもので、この学問は水戸学と呼ばれて全国から注目された。明治元年の兵火で施設の多くを焼失したが、正門、正庁は戦災をも免れて当時の姿を今に伝えている。なお、明治五年から十五年までここに茨城県庁が置かれた。